この度、故 田中 昌男(昭和14年卒)先輩の残されたアルバムから貴重な写真をたくさん提供して頂きました。(ご遺族の皆様、永沼先輩ご協力ありがとうございました)昭和45年頃迄の貴重な記録です。なにぶん管理人には、写真に詳しい注釈を付ける事はかないませんので写真を見て、「これはアノ時のものだ」「ここに写っているのは誰それだ」とお判りの方がいらっしゃいましたら、お知らせ下さい。
寄稿 |
平成10年10月発行『銀鐙 創立80周年記念号』より抜粋 昭和13年 瀬良 省二 |
自馬制は小生が入学した昭和10年に今の馬場近くに、50m×70m位の馬場と5頭入の馬房、6帖一間の宿直室、家屋の横に井戸が1つ、炊事用の板場とトタン張りの屋根があり、ガスコンロを使って夕食、朝食は家から持参した米と副食物を料理して食べておりました。馬の餌は近所の八百屋さんから米をとった後の藁を1年分購入して、一部は寝藁に使用しておりました。 馬糞は肥料として当時使用しておりましたので、現金の支払いは半分位ではなかったかと思います。馬の餌は藁、麦、フスマをやっていました。厩舎へ行くにはバスが1時間に1本あり、夜は無かったと思いますので不便でした。上賀茂神社から北はほとんど家もなく、厩舎の前に1軒の別荘があっただけで、あとは農家がバラバラとあっただけで淋しいものでした。馬場の隣にラグビー部の練習グランドがあり、練習のない朝夕に使わせてもらったり放馬させてもらっていました。厩舎の上に50m四方の大きな深い池があり、夏は泳いだり、水馬をして楽しんでいました。裏の山は自然のままで、小動物や雉が沢山居て、大自然の中に厩舎がある感じで良い環境でした。上賀茂から上は舗装はなく、外乗練習には理想的な場所でしたが、時々先輩がしぼりに来て、今日は外乗だと喜ばせておいて出発直前に「鐙をとれ」と、鐙の無い鞍に乗せられて随分と落馬もしました。日曜日は軍隊練習、年末年始は四国善通寺の騎兵隊に合宿。(今村先生がイタリー留学から帰国されておられました)合宿は1人に3頭の馬を貸与され、1頭に2時間は乗せられました。 |